正解の裏にあるもの


どこかに出かけるとしましょう。

目的地(ゴール)があります。


目的地にたどり着くために、地図を広げそこまでの経路を探します。(とりあえずナビゲーターは使わないことにしてください。)

移動手段は、徒歩・自転車・自家用車・バス・電車など様々な選択肢があります。

さらには、ルートもいろいろと考えられるでしょう。

最短距離が必ずしも良いという訳ではありません。時間・運賃いろいろな要因があります。


ところで、教科書の正解は、すでに渡された地図に経路を色づけしてしまっている様なものです。

自分たちで経路を見つけるのではなく、定められた経路を解析することになります。

「なるほど、こう行けば目的地に着くわけね。」といったところでしょうか?

そして、その経路をたどれば、「移動手段は何を使い、どこを曲がる。どこでトイレ休憩。」など、理解はできるでしょう。


しかし、その経路を選ぶにあたって、本当は様々な要因があり、どの経路が良いのかなどを試行錯誤したはずですね。

実際に、問題にあたるときには、この経路探しから始まるのですよね。


数学では、ゴール(答)が見えているとは限らないけれど、とりあえず、進む道をきめます。

時にはゴールを予測・予想したりもします。

そして、とにかく進んでいく(解いていく)訳です。違ったら別の道。


すでに与えられた「正解」の道筋をたどるだけでは、自分で道を見つけることはいつまでたってもできないかも知れませんね。

時には、答えにたどり着けないこともあるかもしれません。でも、その繰り返しですね。

移動手段(数学であれば、関数・図形・公式などの選択でしょうか)をどう選ぶかということも考えなければいけませんね。

いろいろな経路を考える。すなわち、思考する。そして、とにかく進むこと(試行錯誤)が必要ということでしょう。


正解は正解として示してあげるのは良いですが、どのようにしてその「正解」を導き出したのか?

それを考えられる力を生徒たちに身に着けさせたいですね。